12月15日生まれ。札幌出身のヴォーカリスト。

 三人姉妹の末っ子として生まれたMILLEA。一番上の姉はピアノとクラリネットを、二番目の姉は合唱をやっていて、両親はクラシックや洋楽のヒット曲などをよく聴いていた。MILLEAももちろん音楽は大好きで、歌うことが何よりも好きだった。中学からはダンスを始め、高校時代は学園祭のステージで歌ったこともあったが、将来「音楽」をやるのは自分ではなく姉たちだと思っていたそうだ。

「絶対敵わないと思っていたんです。お姉ちゃんたちは小さい頃からちゃんと音楽をやってたし、キレイだし、いつも周りから褒められてたから。その点、私は音痴だとかブタ子ちゃんとか言われてて(笑)、あんまり自信が持てなかったんです。歌をやりたいなんて言ったら反対されるのは分かってたし、反対されれば迷ってしまうことも自分で分かってたから、チャレンジすることが出来なかったんですよね」

 専門学校を出てネイリストとして働き始めたが、3年経って壁にぶつかった。大したことじゃないのに、どうしても乗り越えられない。そんな自分と向き合った時、もしこれが本当にやりたい仕事なら、こんなことを苦労とも思わないだろうし、辛いとも思わないはずだよなと気付いた。そして「一生この仕事をやりたいか?」と考えた時、そこに夢を持つことが出来なかった。このままじゃ後悔する。私が本当にやりたいのは、チャレンジもせずに諦めていた「歌うこと」だと確信し、あるオーディションを受けた。

「その時22歳だったんですが、周りは、いかにも「小さい頃から歌を習ってます」みたいな10代の子ばかり。一次は受かったんですが、二次で落ちたことが異常に悔しくて、そこでも「やっぱりこれが私のやりたかったことだったんだ」と確信したんです。年齢的にも出遅れている。それでもやりたいか?10代の子たちと戦う勇気はあるのか?いろんなことを自分に問いただしました。それで仕事を辞め、東京に行く決意をしたんです」

 ひと足先に上京していた二番目の姉の元で生活を始め、派遣の仕事をしながらボイトレにも通い始めた。とはいえ、何か当てがあったわけではない。ボイトレの先生からは「音楽はファッションじゃない」と正され、心が折れかけたこともあった。前進も後退もしないまま2年の月日が過ぎた頃、彼女の人生を大きく変える人物と出会うことになる。小さな店で偶然に出会い、その場で自分の音源を聴いてもらうと、あまりにも厳しい言葉だけが返って来た。

「その歌で、誰かを感動させられるのかと。今あなたが人前で歌って、感動させる自信はあるかと聞かれたんです。そんなことを聞かれたのは初めてだったし考えたこともなかったけど、その時の自分には「ありません」と答えることしか出来ませんでした。本当にもう、それしか言えなかった。思わず泣いてしまったけど、こうも言ってくれたんです。その気持ちを、自分の言葉で歌えばいいんじゃないかって」

 店に残り、泣きながら書いたのが「Be Myself」。 <自信って何だろう 自信持ちたいって頑張ってるけど でも 私の心はぎりぎりで震えてた>ーー。悔し涙の小さな波紋が、初めてのオリジナル曲になった。そして、自分の意志と自分の言葉でこの曲を作り、一歩前に踏み出せたことが彼女の大きな自信にもなった。きっと、自分でも気付かないうちに「歌」そのものにも変化が表れていたのだろう。その後、ある場所で彼女の歌を偶然聴いた女性が「一緒にやりたい」と手を挙げ、いわゆるマネージメントをしてもらうことになった。MILLEAという名前も、その女性が付けてくれたものだ。

「その女性の元で1年間ライブ活動などをやってきたけど、ここにいても自分の夢は掴めないと直感で思うことがあり、やめることにしました。MILLEAという名前は全く気に入ってなかったからそのタイミングで変えてもよかったんだけど(笑)、その女性は初めて私の歌に感動してくれた人だったし、今の事務所の方と知り合えたのもその女性がきっかけだから、そのままにすることにしたんです。たくさんもめたけど、本当に感謝してるから」

 ミレニアム、つまり1000年後にも残る歌声をという思いも込められてはいるが、彼女にとってこの名前には、出会いの原点という意味があるそうだ。その後、それまで働いていた派遣の仕事を辞め、家も引越し、MILLEAという名前だけを持って今の事務所に入った。オーディションで10代の子たちに負けた悔しさをバネに上京し、折れそうで折れない心と直感を信じて辿り着いたこの場所で、彼女は八代亜紀という日本トップクラスのシンガーのもと、ひとりの人間としてどうあるべきかということから学んでいる。八代さんのステージに立たせてもらいながら「歌う」ということを根本から見つめ直したこの3年という時間は、彼女にとってかけがえのない財産となった。

「年齢的にはすでに出遅れているのかもしれないけど、これまでの経験があったからこそ今の私がいて、歌が歌えているんだと思うと、本当に「今」でよかったなと思います。あの10代の子たちには表現出来ないものが絶対にあるはずだし、東京に出て来たばかりの自分では歌えなかったものがきっと歌えると思うから。歌手になって成功したい、自分の夢に向かって頑張るんだという思いと同じくらい、今は、これまで出会って来た人や支えて下さった人たちに恩返しをしたいという気持ちでいます」

 そんな思いを込めた楽曲「虹色のアーチ」で、2015年2月4日にデビューを果たした。この3年間、日々感じたことをメモしてきた膨大な言葉のスケッチを元に作られた、大切な1曲だ。

「チャレンジしてる私の姿を見て、歌を聴いて、諦めない勇気を持ってもらえたらと思うんです。上手くいかないことはあるかもしれないけど、無駄なことってないですからね。どんなことでも、何歳であっても、「遅い」なんてことはない。ここが、後悔しない人生を送ると心に決めた、私のスタートラインです」